春の途端

とりとめもなし、思考や事象や日常について

九月九日

日記というものがあまり続いたことがない。数日、数週間くらいは何とか持つのだが、そこから先いつの間に、フッとその存在ごと忘れている。そのまま気がついたらひと月、ふた月は経っていて、空いた日付と白紙のページに「あ〜あ」とやる気を失う感じ。

2年前に始めた日記のノートがまだ終わらないのは、毎年夏の間だけしか書いていなかったから。(不思議なことに7、8月の間につらつらと書き、そこから忘れているらしい)今年は、今のところ、9月に入ってからも書くのを忘れていない、いい子、と自分を褒める。

 

これだけ緩い精神で日記つけているわりに、しかし日記帳というものが非常に気になり、好む。細やかな記録の束に特別さを感じてそばに置いておきたくなる。

と言うのも、ここ数日ずっと“ほぼ日”のオンラインストアばかり見ている。特に今日はほぼ日5年手帳が気になり出した、唸る。ほぼ日は数年前から憧れていて今年試しにオリジナルを買ったのだけれど、1日ページが案の定空白。数ヶ月分が真っ白で意欲を失う。私に言ってやりたいのは、細やかな記録のされた日記帳はだんまりのままでは手に入らないよ、ということ。そこの辺り、理解と実際が結びついていない気がする……。

私にとって来年がちょうど転機の年で、環境も生活のリズムも大きく変わるから、そういった面でもほぼ日5年手帳は本当にいいタイミングなんだよな、と思って悩む。もう少しサイトとにらめっこしつつ考えよう〜