春の途端

とりとめもなし、思考や事象や日常について

口が寂しいときの

愛してると言えば愛していることになるかもしれない朝は明るい

 

数年前、私が私のために考えた短歌を、今でも時折思い出す。ふとしたとき、頭の中で唱えてしまう。語感がよいと思っているのかもしれない。

こういう、暇が訪れるとついつい胸で繰り返してしまうフレーズというものがあって。今の旬はこの短歌ともう一つ、ゲーム『ジャックジャンヌ』から「オー・ラマ・ハヴェンナ」という単語。少年歌劇が繰り広げられる物語なのだけれど、主人公らが各季節ごとに公演を行う、冬の演目がこの「オー・ラマ・ハヴェンナ」。閉鎖的な空間と、爛れたようにも思わせられる倫理観と、色々な夢とうつつが混ざり合ったような演目で、その中でこの「オー・ラマ・ハヴェンナ」という響きは強く、まぶしいものを感じる。ハヴェンナ、は劇中の土地の名前であって、そこを讃える人も、辟易している人もいる。ここで詳しく書いてしまうと脱線するので、割愛。兎角、口で楽しみたくなる語感というのは、寂しいときの飴みたいな形で、私の中にある、と言いたい。

言葉を相手に自在な気持ちで生きていたい。宝として手の内でその存在を確かめるときもあれば、恋焦がれて恋人のように触れ合いたい、とも思う。

私と言葉との距離は無限で、境目の見えぬほど溶け合う。唯一無二でありたい、私にとって言葉がそうであるように、言葉にとって私もそうなるよう。