春の途端

とりとめもなし、思考や事象や日常について

九月十二日

久々に大学へ行く。まだ夏休みではあるが、所用があって。それもあっという間に済むものであったから滞在時間より往復の方がずっと長かった。体力がなく、疲れてしまったので帰りにカフェへ。勉強をしてから、電車に乗った。

地元から数駅乗ったところの本屋。文庫の揃えが潤っていて、中々見ない本を幾つも持っている。買い切り扱いの岩波の多い書店は優秀な表れと少し前にどこかで聞いたけれど、そこは確かに岩波も潤沢。家へ帰る前にそこへ目的なく寄ったが、案の定、本を欲しくなって買った。中公から出ている、小川洋子の『寡黙な死骸 みだらな弔い』。

 

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(これは公式の作品概要ページ)

 

棚は隙間なく、しかし余裕をもって本が埋まり、私がこの1冊を引き抜いたときぽっかりと初めて生まれた穴に、ふしぎな情を得た。本棚、隙間のなさ、そこから引き抜かれ、生まれる本の痕という連関に、同じ小川洋子の作品で「約束された移動」という短編がある。ホテルの清掃係である主人公・私は、俳優のBが泊まった部屋から決まって1冊の本が引き抜かれていることを発見する。その本のあった名残、ぽっかりと帯びた陰を間に、「私」はBと、その秘密をふたりだけのものとする――ふと、その話を店先で思い出して、少しときめいた。

最近は保管場所に困ってもいることから、今積んでいるものから読む、と唱えてはいるのだけれども、理性的であれたのなら苦労はしないのよな、何事も。小川洋子は別、と思い、目を瞑る。