春の途端

とりとめもなし、思考や事象や日常について

イルニーシヤ

小説を書きました。

ずいぶん前にも、もっと少ない文字数で(言葉にできた一場面を)載せたことが一度あるんですが、今回は思いきって長めに。ブログ形式って長文が読みづらいと思うので、もし気が向いたら眺めていって貰えると嬉しいです。

文章を書き切ることが減ってきているから、短いものでも今後アップできることを目標に書き続けられたらいいなあ。

 

 

 イルニーシヤという女性がいた。僕は知っている。その町の大通り沿いに並ぶアパートの、三階を借りていた女性だ。三階には同じような部屋が三つあって、その一つが彼女の住まい、ふたつが貸家で、そのうち片方に僕が住んでいた。建物自体はイルニーシヤの叔母が管理していて、イルニーシヤは全五階建てのうち三階のみの収益を貰えるのだそうだ。(もちろん、その他に色々な叔母の手伝いをして。)

 僕は毎月、家賃の徴収に叩かれるドアを開く度、数枚のお札と共に、余ったりんごや粗品として貰った布巾セット――赤、青、黄のチェック模様が一枚ずつ。可愛らしい――や、市場でやっている福引きの券などを彼女の手に押しつけた。


 彼女は若くはなかった。四、五十ほどで、黒いヴェールを被った頭には、うすい生地越しに時折光を受けて白髪がちらついた。見かけるたびに黒いローブに黒い靴、黒い手袋を身に着けていて、それが一種の物語をつくったのだろう。アパートの住民や近所の人、彼女の叔母でさえ皆好き勝手に彼女の噂をした。(叔母も、ある日ふとイルニーシヤが数十年来の嫁ぎ先から戻って来、言葉の一つも口にしないので、詳しいことは何も知らないのだそうだ。叔母さんは彼女に似ず大分お喋りだ。)

 年がら年中、頭からつま先まで黒いのは、嫁ぎ先で夫を喪くしてきたからだとか、黒手袋をはめているのは酷いやけど痕を隠すためだとか――数年前、イルニーシヤの嫁いだ村で起きた火事と結びつけてのことだ――果ては、彼女は自分の手で夫を殺して帰って来たのだ、あれは愛のない結婚だった等と噂はでたらめに育ち、僕は早々に井戸端を抜け出してきたのだった。

*

 その月末もイルニーシヤは僕のもとを訪れた。僕はいつも通り家賃を渡し、買い物の時に試供品として貰った茶葉の小包を渡した。彼女は埃ひとつついていない黒い手のひらで、僕から封筒と小包を受け取った。
 それだけが、僕と彼女が唯一交わる時間だった。終わってしまえばすることはなく、僕は黙って会釈した。すると、彼女はゆっくりと頭を下げた。その一礼と同じくして彼女のまぶたも瞳の上を下りていき、お辞儀を見せる頃には弧を描くように、長い睫毛とその影が彼女の目元を飾りつけた。


 暗い昼間であったから、小さい窓しか持たない廊下は殆ど日が入らなかった。辺りには木造の湿った匂いが立ち込め、僕の部屋の白い日差しが、イルニーシヤを照らしていた。
 イルニーシヤの瞳はとび色をしていた。イルニーシヤが姿勢を正せば、背丈は丁度僕と同じくらいだった。普段の暮らしの明かり程度では黒やこげ茶に溺れる瞳は、溢れるばかりの光の中で、 はっきりとなめらかな明るさを見せた。重さのある二重が、しかししっかりとした美しい筋を描いていて、彼女は見開いた双眸を僕にジッと向けると、改めて小さく頭を下げた。

*

 イルニーシヤが死んだ昼も、葬儀の日も、ずっと雨が降っていた。自室のベッドで、うとうととまどろんでいるうちに死んでしまったらしいと言う人がいた。あるいは日課の祈りを捧げているうちに、とも。いずれであれ、滅多に人と会う用を作らなかった彼女は偶然その日に叔母を訪ねる予定であり、彼女を急かそうとやって来た叔母が、ぬけがらとなったイルニーシヤを見つけたという次第らしかった。
 斎場にかかりきりだった叔母は、僕が来たのをいいことに入れ違いで出ていった。


 そこは、雨をしのぐための場所とでもいうように小さな場所だった。壁も床も白く、他に何もない。電球がか細い光を帯びてつるされていた。濡れた靴音が反響する度、その後に訪れる耳に痛いほどの静寂が強調されてしまう。「唯一の肉親」である叔母の後ろ姿は容易く見えなくなって、まっさらな部屋には棺がひとつあるのみとなる。棺の蓋は開いて、綿と花の中に、イルニーシヤが眠っている。
 僕は膝をついて、イルニーシヤの隣に屈んだ。ヴェールは脱がされて、白髪の束が露わになっていた。手は恐ろしいほど冷たく、僕は強く握り込んだ。

「母さん――」

 後は、雨の音ばかりとなった。

0217雑記

仕事が昼間までで、何だかうきうきで帰ってきた。(休日出勤なんですよ)

こういう日はカフェで何らかをするに限ると思って、今これを書いている。

合間に太宰の『ヴィヨンの妻』を高校生ぶりに読み直したりして、一緒にゲーム実況なんか聞いたりして、ずいぶん気まま。カフェに入る時はそこで飲む・食べるものより、作業空間にお金を払っている感覚がある。

 

最近、依然と小説は書きながら、朗読台本や脚本の書き方を調べている。

ゆくゆくオリジナルを書くのも楽しそうだけれど、まずは既存の話を参考書にしてあれこれ試したり。目に入ってくる形には一定の美学(自論という)があるけれど、それを耳で聞くとなると全く別の基準になってきて難しい。元の物語とにらめっこしながら、言い換えを作ったり、それを声に出して上手く頭に入ってくるかを考えたりする。

目と耳、どちらが受け取る情報量が多いのかも人によりそうだよな、と。朗読は地の文を用いる感が演劇台本より強いように思えて、唸りつつ楽しい。

今は筆が重たいけれど、これがちょっと小慣れてくるの楽しみだな。こうして大人になっても変わらず吸収できることは多くて、わくわくできる。学ぶ体力があって何より。

ある閉ざされた雪の山荘で

bookclub.kodansha.co.jp

を、読んだ。

 

今ちょうど映画が公開されている作品。私もまず映画を観てから、本を読んだ。絶対これの原作面白いだろうなと思って……。映画も健闘していた方だとは思うし、これまでに観てきた、原作が蔑ろにされた実写化と比べるまでもなく丁寧だったけれど、やっぱり本が面白かった。ミステリって映像にするの難しいんだろうなあ。

東野圭吾、記憶にある限りでは今回が初めて。かろうじて(原作扱いになるけれど)ガリレオをちょっと観たことがあるくらいで、これまで文章に触れてはこなかった。

ミステリについて詳しくはないのですが、そんな初心者でも楽しめた。何なら映画でおおよそのトリックを知った後でも面白かったので、何も知らない状態で読める人のことがちょっと羨ましい。(逆に原作を履修してから映画に行こうとするのは、今回はあまりおすすめしません。)

物語の核心は突かないようにして、感想を少し喋ります。

 

ミステリと言えば、やはりクローズド・サークルが肝という印象が何となくながらあるのだけれど、この『ある閉ざされた〜』は、環境そのものにはそれが成り立っていないのが興味をそそられた。

テンプレート的によく聞くのは、ある孤島で、とか閉ざされた館で、とか。

けれど今回は、外は記録的な大雪、到底外に出ることはできず、電話線の断絶で外部との連絡手段もない“という設定”の、ペンション『四季』。

登場人物は皆、劇団の人間。実際は4月であるし、外には別段変わったところもない。電話も通じる。が、これは次回公演の配役についての試験的役割を兼ねており、外部と関わりを持った瞬間、不合格とされる。だから題名も、実のところは「山荘」くらいしか状況に合っていなかったり。このナチュラルなクローズド・サークルの形成が私的にツボだった。

大人数が、ひとつのペンションに何日もかけて滞在し、そしてまもなく場面は動いていく……という展開が、全員劇団員という設定ひとつで不自然でなくなるのが面白い。

 

初めに述べたが、私は放映中の映画化を観てからこの作品を知ったので、正直ミステリならではの旨みを全ては吸収できていないと感じている。悔しい。事前知識が一切ない方が楽しめると思います。

ちなみに映画についてですが、単体では全然楽しかった。間取りの都合上などで改変箇所は幾つかあったけれど、快い改変であったと感じる。原作に真摯に見えた。先に本を読むと満足できないんじゃないかなとは思う。

後はちらほら後処理の気になる描写が未読の状態でもあったけれども、それもささくれ程度でないかな、と個人的に。

 

そして、これが面白かったので、今日は早速『悪意』と『手紙』を買ってきました。

蔵書に東野圭吾が増えているの、今まで全く通ってこなかったから不思議な感じだ。

読むの楽しみ!

雑記

先週、目まぐるしい量の仕事を終えて、急に静けさが戻ってきた。

それでもまだ後処理がいくつか残っているけれど、自分のペースでしていけるのでいい感じ。この前までは俊敏さにバフをしこたまかける(※暗示)必要があったので、だいぶ目が回っていた。

 

ので、ずいぶん頑張ったというご褒美に甘いものを食べる。

そういえば今回はまだ「甘やかし」していないな〜と思い出して。(朝早い日には帰りにカフェへ寄ったり、夜遅い日にはモーニングを食べてから出たりしている)

自分自身の甘やかしは、わりと重要なスキルの気がする。大人になってしみじみ思う。

 

ちなみに今日は、フレンチトーストを食べました。ひたひたで重たくて、一片ごとフォークから滑り落ちるくらい。お好みでアイスもトッピングしちゃった。熱さと冷たさで口の中が忙しかった。

 

眠いのでそろそろベッドに入って、何か音楽でも声でも聴きながらうとうとしようかな。

明日の目標は、帰ったら早めに風呂へ入る。

雑記

今年度も終わりに差しかかり、1年を振り返る機会を得たのだけれども。

いまいち成長できたかが分からず、不安になる。

何かと「(知識を・技術を)習得しなきゃ」という気持ちから焦りが働いて、結果として空回りしている気がする。

人に変に思われたら恐ろしいと思う自分と、「そんなの気にするな! ガハハ!」という自分と、どちらも本当なんだよなあ。

 

2023年度から全く新しい生活に変わって、もちろんその影響は多大に受けた。

特に人との出会いは大きいもので、これまで人嫌いを謳ってきたはずだったのに、結局わたしという人間は、同じ人間から受け取るもので成り立っているのだな、と思う。

人との関わりに飢えていた様子で、なんて単純。そしてよく気づいたこと。

現在、身を置いている環境がわりと人付き合い多し、そしてそれに浸っておいてある程度生きやすいのだから、私は思いのほか人好きか、あるいは順応力が高いのかもしれない。

 

秋口に気持ちが停滞して、同時に向上心も停滞した1年だった。

もう眼前に迫っている来年度は、思考することを忘れないように、精神面でのケア方法を探っていこうと思う。特に寒くなると、日によって浮き沈みがあるので……。

フィルムカメラの話

上を向いたり、下を向いたり。

フィルムは写真がカンと冴えわたる雰囲気があってやはり好き。

愛機はOLYMPUS OZ 70 パノラマズーム。

初めはズーム機能のないフィルムカメラを探していたけれど、人気が跳ね上がるのか途端に高く……

使っていると、自動でフィルムを巻いてくれるところとか、ズーム機能でよい感じの画角が設けられるところとか、私にはぴったり合っていて大好きになった。

その上、フォルムや手へのフィット感含めかわいい!

フィルム初心者にとってとてもよい子と出会えたと思っている。お迎えしてもう2年くらい経つのかな。

夕方、陽のニュアンスがいちばん美しい気がする。

 

何気ないところばかりを撮っている。

光や水の描写がやわらかくなって、愛おしい。

青がましてきれいに映る気がする富士フイルム
(最近は枯渇しているのかISO100のやつしか見ない…)

一度コダックのフィルムも使ったことがあって、そちらは黄味感があるように思えてそれも可愛い。

しかし、ちょっとどの写真に使ったのかは覚えてないよ。

 

尚、ド失敗もする。

👌

雑記

フィルムで見た空
久々に原っぱへ寝転んだ!

最近も、何とか元気です。

ここへ来るごと「久しぶり」と言えるくらいの期間を空けている。書くのは好きで、実際書くことによって癒される心もあるのだけれど、どうしてもそれに至るまでの体力が持たなくて手早い癒しを求めてしまう。

スプラトゥーン、楽しいんだけれどね。)

インスタントな快楽はあっという間に食い尽くしてしまう。燃費の悪いからだをしている。

 

少し、ちょっと簡単に。

書くといえば、少し前にある連絡があって、それがこれまた更に少し前に出した小説が一次選考を通っていたよ、という内容だった。二次は残念ながら……と続いたけれど、こうして知らせてくれたことが嬉しい。

初めて何かに引っかかった。まだ片手を少し越すほどしか賞に出せていないし、書き終えられていないけれど、その連絡が来てから文章に対するモチベーションは維持されている。あとは体力をつけるだけ。とりあえず、今書き始めのものを短編サイズに仕立てて近い賞に出すつもりでいる。

自分の文章に納得のいかないところも多いので、とにかく書く。近頃ようやく小説にも練習が必要と実感を以て分かってきた。日々鍛錬あるのみ。これは自分にとって新しい試みなので、頑張ってみる。

相変わらずブログの結び方は苦手に思うけれども。