春の途端

とりとめもなし、思考や事象や日常について

九月二十日

きちんとしたい、と思いつつ、実際に行動はしないので、怠惰な日々を過ごしている。それに「無駄な時間を過ごしてしまった」とストレスを感じる性分ゆえ、正直心身のどちらにも悪い。ただ腰が上がるまでが長いということは分かっていて、分かっているだけ。その分析を改善に用いたりはしないのもまた、腰が重いんだろうな。(とりあえず今日は、ブログを書くぞ、と決めてすぐにパソコンを開いた点に関して、えらいと褒める)

今日は雨と聞いていたので、家に。朝に眠り、昼に起きる生活をしている。夜中から天気が荒れると聞いていたけれど、部屋の淡い緑のカーテンが朝日に少しずつ色づくさまはいつもと同じで、朝のひそやかな気配と、家族の起きてくる音を聞きながら、眠りについた。昼夜が反転した生活がここ2,3年続いているかもしれない。困ってはいるが、直すのは多分、怖いのだと思う。いつも眠いのに、夜のうちに寝ることは背中がゾッとする。だから気を失うように眠れればいいのにと思う。(前にもお話しした気がする)

ここ数日 特筆すべきことはないのだけれど、最近の出来事で、手帳が届いた。迷っていたほぼ日手帳を結局お迎えし、先日セットアップをして。5年手帳にひと目惚れしたカバーの合わせと、伊丹十三デザインのweeksのふたつ。オリジナルが上手く使いこなせなかった今年を顧みて、書き込みスペースの少ないものを選んだ。洗練されて、美しい手帳たちだと思う。

来年以降は毎月小さな貯金をして、それで手帳を見繕おう。何かを買うために貯めるお金、わくわくするだろうな。