春の途端

とりとめもなし、思考や事象や日常について

なくなるものたち

地元のカフェ、恐らくつい2週間前にも寄ったのだけれども、今日来たらついにあらゆるパーテーションが消えていた。ひそかに感動する。そして、そのカフェで今これを書いている。

ちょっと落ち着かない。

もう4年にもなる間、ずっと境目が視認できる生活をしていたからなあ。というのと、ソーシャルディスタンスが唱えられるようになってから、どうにも人との距離に敏感になってしまった。流行病が盛りを超えてからも。

あと、アルコールシートの常用とか。この4年できれい好きに磨きがかかったかもしれない。

(部屋は ものが多いんですけれどね)

 

昨日は愛ジャンルのサ終を聞いて大動揺したけれど、今日は、まあ、吹っ切れるわけがないですよね。

昨日の発表後から、今日も。ツイッターを開くと、同じゲームをプレイしていた人々の悲しみが溢れていて、(私だけじゃないね、そうね。)と思った。

そうしてちょうど、そのコンテンツが6周年を迎えるので、記念ポップアップストアのお知らせが流れて来もして、それが何だかサ終の発表より鋭角で刺さってしまった。