春の途端

とりとめもなし、思考や事象や日常について

性に遠いところで人を好きになりたい

あのね、

これは末だ自分の中でも上手くまとまらない話になる。心が先に来て、言葉ができていない感じ。けれどどこかに発散させたくて、私のブログという場に救いを求めている。

だからあくまで、これは私の心で、何も意味しない。矛盾蔓延る巣窟なだけ。

ここ1年か2年になって、性別に難しさを覚えることが増えた。これは恐らく近年ジェンダーの話がよく上がるからで、きっと触れる機会の多さから気になるだけのはず。

だけれど、何というか、相手が嗚呼、私の性を決めつけているなと分かる瞬間に、急に冷めてしまうようになった。

私に、彼氏はいるの? だとか。

(どうして、私が異性の恋人だけをつくると思うのだろう?)

 

多分、他人に推し図られることが、勝手に私の行動が制限されるように思い、嫌がる意味合いが先ず強い。自分に自由でいたいから。私は女の子を好きにならないかもしれないし、なるかもしれない。それって実際にその時が来るまで分からない。

この歳にもなると、性の匂いのある話をされることが多くなって、うんざりしている。思うと、私あまり性別を意識してこなかった。そりゃあ、異性はからだのつくりが私じゃ遠い分、少し離れたように(違う生命体であることを)感じるけれど。でもそれって、前提条件であって日常生活で用いないと言うか、結局のところ話をしてみて、その言葉の感じや人間の感じに好感を抱くのだから、少なくとも今の私はそう意識しない、性別を。

 

からだの性に沿った服を揃えるの、好きだ。お手洗いだって自分のからだに合わせて入ることに、私は今のところ抵抗感や苦しみがない。けれどかと言って、じゃあ私は女? と問うと、自分に答えが出せない。言い切りたくはなく、男でもないが、男の要素も持っておけたらいいのに、と思う。一瞬で変身ができて、すらりとしたからだの、喉仏を持った、男になれても良いのに。これっていわゆる無性や中性、といった性の意識に近いんだろうか。でも、昔は何ともなかったのに。最近の世の中に触れ出してからなのに?

 

今日というか昨日、また同じように「決めつけ」があって、悲しくなってこれを書いた。私の性がたった違うだけで、あなたたちは三角関係みたいね、なんて下卑た話が他人から出た。私と、勝手に結ばせられた私の周りのひと、性以前に仲のよいように、上手くいっている感じが私は好きだったのだけれどな。

だってこれ、私が男だったのなら絶対に出ていない話だった。私にたいらかな胸があったのなら、何も噂しはしないくせに。