春の途端

とりとめもなし、思考や事象や日常について

あっちこっち 行ったり行ったり

先ほど前髪を切ってきた。

すぐに長くなるので、いつも思いきって切る。それくらいがちょうどよくなるので助かっているのだけれども、これがばっさり行き過ぎた日にはショックかもしれない。

今日も上手くいった(はず)。すべては明日、髪のセットをするときに分かる。

 

ハイキューの映画を観に行きたい。相方と行きたいのだけれど、目処が立っていない。ついてこいって言って観に行こうかな。

研磨が10年前から好きで、学生時代がつらかった私にとって、同じように部活で窮屈な思いをしていた研磨は、それでいてバレーを続けている研磨は、光で救いだった。

特にゴミ捨て場の決戦は、本誌で読んでいたとき毎週びょおびょおに泣いていた回。特に特に、その決着なんてどれだけ泣き続けたかわからない。正直この話をしている今でさえすでに泣きそう。思い出し泣き。映画を観たら、形を保っていられるのかもわからない。当日は大昔に買った研磨ネコぬいを持って行こう。涙擦りつけることになりそう。

色々な言葉は、映画を観てからのお楽しみにとっておく。

 

ヴィヨンの妻』を再読し終える。恐らく5年ぶり程になるのだけれど、それでもまだ読み取れていない部分が多いように思われ、未熟だなと。ただ、5年前よりずっと胸が苦しくなりながらの読みごたえだった。私は大人になったのかもしれない。

この話でインパクトが強いのは夫というのはそうだろうが、ただ最後まで読んだ瞬間、その夫がなかったことになるような、無意味さが好き。上手く言い表せる自信がないが、すべてが妻の領域になる気がした。急に夫の存在が霞む感覚。後には妻の印象しか残っていない感覚。不思議だ。