春の途端

とりとめもなし、思考や事象や日常について

物語の破片

突然になるのだけれども、どこかへ応募しようとして結局やめた文章を少し、留めておきたいと思う。すべては長いので一部分だけ、設定が気に入っている。

 

”私の家の女性は、代々手足の爪が赤い。決まって血筋の女のみであり、母も祖母も、話に聞くだけだが、そのまた祖母も、揃って爪を赤くし、生まれた。爪のつけ根からその先まで、血の塊からつくられたように赤い。幼い私は勿論不思議がって、いつもそばにいた祖母に両手を翳し何故かと繰り返し聞いたものだが、祖母はその度に首を振り、何でかしらね、と曖昧に微笑んだ。深緋(こきひ)という、暗がりの中に蹲るようなその赤は、静謐な佇まいとどこか他人を舐るような雰囲気を併せ持ち、私の手先、足先で常に存在感を放っていた。私がゆらりゆらりと波打つように指を泳がす毎、深く赤い爪がまぶたの裏にまで輪郭を焼きつけた。その感覚、感性が無性に私を虜にし、ふとしたとき目を落としては空気を踏む指の感触、揺れる深緋の風合いをぼうっと楽しんだ。”

 

歳をとると文章の感じもやはり変わって、数年前よりは後味が残るようになったと思う。先ずは芯をつくり、その周りに肉付けしていくようなアプローチに変わったというか。数年前は肉しかなく、もっとふわふわしていた気がする。今の方が噛み応えがある。

 

”幼い頃は、祖母が私の爪を切った。私が爪切りを使うのを危ぶみ――うっかり深爪にしてしまうことを恐れ――また忙しい母に代わって、祖母が私の爪を整えた。祖母の手はしなやかで、細い皺が数え切れないほど刻み込まれ、滑らかだった。その手つきの、私の労り方や乾いた肌の熱さ、私と同じ深い赤を固めた指先が、小さな私を懐に抱え蓋をするように此方の手を握るのを、私はジッと受け入れた。

 祖母が爪切りの刃を私の爪先へ滑らせる。はじけるような音と、芯まで真っ赤な爪が薄い月をしたように(・・・・・)切り取られ、爪切りの底へ吸い込まれていく。ある程度短さを揃えたところで、ティッシュを下にやすりをかければ、赤い鱗粉のように、爪は降る。降る。たちまちやわらかいティッシュが淡く色づく。

 終わりにとんとんと、祖母はティッシュに爪切りを二、三押し当て、私の爪を散らした。粉も欠片も、丸めて捨てるため。

 祖母はその、私の爪の集まりを指して、私に語りかけた。

「ほうら、見て。こうして眺めると、きれいね。真っ赤な三日月がたくさんあって。うん、まるで鱗にも見えるわね」

 鱗、という発想は当時の私にはないものだった。ウロコって? と聞くと祖母は、おさかなや人魚の肌のことよ、と言った。私はその頃ちょうど人魚姫の話を知ったばかりで、挿絵の人魚が持つ青々とした足、射し込む光を様々に反射させることのできるそれを、その瞬間うっすらと思い出した。ふうん、と何とも思わずに返して、それきりだった。”

 

この話は全体として「私」の回想で成り立ち、この文章の後でもう少し歳を経た「私」の視点へ移る予定だった。高校生になった彼女は、祖母が亡くなったことでその遺品整理に祖母の家を訪れ、書斎で一冊の本を発見する。題は「赤い蝋燭と人魚」――。その内容についての描写が入った後で、「私」は何故自分の家の女性が赤い爪を持って生まれるのか、誰も知りはしないその答えへ、ひそかに思い至る。人魚にとってその行く先を照らすこととなった赤い蝋燭のように、真っ赤な爪を持って。

ボツにした理由は、間に用いる「赤い蝋燭と人魚」の描写がどうしても長くなり、私の作品としての比重が減ったため。何とか削ろうと試行錯誤したものの、そうしたら今度は味わいが薄くなってつまらなくなった。

「赤い蝋燭~」は実際に存在する物語、作家は小川未明。じんわりと美しく淋しい、丁寧な語り口調がゆっくり沁みわたる。青空文庫で読めるので、ぜひ。

 

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