春の途端

とりとめもなし、思考や事象や日常について

ピカソとその時代 展

国立西洋美術館で 1月22日まで)

 

に、行ってきた。

個人的に大満足の展覧会! ピカソだ〜いすきというのも勿論だが、キュビスムといえば彼と一緒に名の挙がるブラック、ピカソとはライバルとしてしばしば言及されるマティスや、パウル・クレージャコメッティ、同時代の芸術家を広く揃えるベルリン国立ベルクグリューン美術館の収蔵品中心に展開される内容は見どころばかり。その中に時折、日本の美術館収蔵のものもあって、あなたと同じ国にいるのか〜〜嬉しい〜〜!! となった。滅多に図録買わないのだけれど、買ってきたよ。

国立西洋美術館、改修の休館に入る前のロンドン・ナショナル・ギャラリー展が私にとって最初で最後だったので、今回こうして訪ねることができて本当に嬉しい。

 

 

キュビスムは、“キューブ”を語源に、対象をさまざまな角度から捉え、その各面をカンヴァスに再構成した表現。だからたった一瞥で、色んな方向からの物体を見ることができて、面白い。キュビスムにも時期が2種類あって、それぞれ分析的キュビスムと総合的キュビスムというのだけれども。

 

パブロ・ピカソ『トランプのカード、煙草、瓶、グラスのある静物』1914年,ベルクグリューン蔵)

(題の通り、トランプと煙草、瓶、グラスが描かれた作品。タイトルの後で作品を観察すると、その像を見つけることが容易いはず。)

 

総合的キュビスムは、分析的〜と比べ、より一層現実との結びつきを強くしたという点で特徴的。具体的に言うと、現実のもの“そのもの”をカンヴァスに持ち込んだ。

 

パブロ・ピカソ『一房のブドウのある静物』1914年,ベルクグリューン蔵)

 

この作品、中央でつぶつぶの丸が幾つか並んでぶどうを形作っているのだけれど、このぶどう、木屑が混ざっている。(というか、木屑だけでできているのかな?)

これが総合的キュビスムの面白いところで、考案したのはジョルジュ・ブラック——もう1人のキュビスト——の方らしい。こうした既に形あるものを持ち込む手法で、キュビスムは抽象に行き過ぎず、現実的であろうとした。パッと見て抽象絵画に見えるかもしれないけれど、実は違うんだよ、という話。紙の切り貼りにはパピエ・コレという名称があって、キュビスム独自とされるらしい。(後々コラージュとか現れるけれども)

 

ベルクグリューン美術館蔵のキュビスム、いずれも「資料で見たことあるのだが……!?」という作品ばかりで震えていた。それもあって、キュビスムで構成される第2章がやっぱり強く印象に残っている。

初めに多くの芸術家が父と崇める、ポール・セザンヌに触れた上で、キュビスムからその終焉、第一次・第二次世界大戦期のピカソを経て、パウル・クレーマティスジャコメッティを味わわせてくれる、この構成もまた大変に美味で最高。

 

人が多くて十分に見れなかったところもあったのだけれど、それをゆうに上回る幸福感だった。ありがとうございました!!!!

 

2022年:本と美術館と様々、様々

今年の好きなものの話をしたい。

2022年も趣味にたくさ〜ん興じて、たくさん蓄えることができた。心の充実度はとても! 幾つかお話していきたいと思う。

 

オスカー・ワイルドサロメ』(平野啓一郎訳,光文社古典新訳文庫

 

間違いなく今年のベストに挙げたい一冊。十九世紀末、時代の寵児ワイルドによって書かれた戯曲で、新約聖書に描かれるエピソードを元にアレンジが加えられている。感想がまだ書き起こしの段階なので、手早く此方でご紹介をば。

王女・サロメは、義理の父(であり、叔父。サロメの実母・ヘロディアは彼と再婚した)王・ヘロデに「踊りを踊ったら褒美をやる」と言われ、“七つのヴェールの踊り”を踊る。それは殆ど裸同然と言ってよく、ヘロデが彼女を“女”として見つめているのは明らかと言っていい。満足した彼はサロメに「褒美は何がいい?」と問うが……

サロメ預言者・ヨカナーンの首を欲しがる。

(聖人殺しはタブーである)

ワイルドのサロメは、恋に燃えている。皆が皆、揃ってサロメの魅惑に虜となる中で、神のたった一挙をもこぼさず得ようとするヨカナーンは、唯一サロメの手の内にない。サロメはそんな彼が愛おしくて、愛おしくて、「あなたの唇にキスしてみせるわ!」と言う。

「あたし、あなたの唇に口づけしたわ! ヨカナーン!」

銀の盆の上に、こぼれる血潮を共にして、彼が目を瞑っている。その瞼が開くことはもうなく、その舌が動くことはもうない。ヨカナーンサロメを本当の意味で見ることはなかった。

 

余談だが、これを読んでずっとサロメに取り憑かれていた時に、原田マハサロメ』(文春文庫)も読んだ。アート小説をよく書かれる方で、今回は「サロメ」を作ったオスカー・ワイルドと、画家オーブリー・ビアズリーの関係性が、オーブリーの姉・メイベルの視点を中心に描かれる。このお話について言いたいのは、皆が「サロメ」であるということ。楽しく、おすすめ。

こちらはオーブリー・ビアズリーの作品が表紙となっている。ちなみに文庫とハードでその作品が違うらしく、これは文庫バージョン。

 

ピカソ 青の時代を超えて 展(ポーラ美術館)

まだ会期中。箱根・ポーラ美術館のピカソ展。ピカソと聞いたら飛んでいきたいので、今回ホント〜に満腹! とっても楽しかったね!

ピカソといえば彼がパリに出てきた後の方にスポットライトが当たると思うのだけれど、今回はスペインにいた若い頃の作品も幾つかあって、そこが特に目の癒しだった。重厚感に気分をホクホクとさせられた。

また、ピカソだけでなく、同じキュビスムの画家ジョルジュ・ブラックや、ポーラの誇る印象派コレクション、現代画家ゲルハルト・リヒターなど、最高最高……盛り上がってばかりいられた!

幾つか写真を紹介する。

(これは入り口の看板 ポーラのロゴ可愛くて好き)

(エントランスまでの景色 ちなみにフィルムカメラで撮影しています)

(ポーラの庭 彫刻など中心に作品が沢山あり、ここも楽しい)

 

都内からなどとなるとちょっと(大分)遠いけれど、旅行する気分で行くにちょうどいいのかもしれない。

 

ALTER EGO

ALTER EGO

ALTER EGO

  • Caramel Column Inc.
  • ゲーム
  • 無料

apps.apple.com

(リンク先はアップルストアに飛びます アプリゲームです)

 

“ガチャの為に”以外で初めて課金をしたゲーム。

そこはどこか、壁に挟まれ道を行く私の前に、ひとりの住人——エスが現れる。彼女はその世界にたったひとり、いつだって本を読んでいて、時折戯れのように、私と関わる。私はエスとの問答を経て次第に「私」を知り、その答えはやがてエス自身にも変化を——。

基本的には無料で楽しめ、特別会話や広告非表示などで各個課金がある感じ。私、エスのことが大好きだ。これはきっと、プレイした人の殆どと同じ気持ちを共有できると思う。

エスにまた会いにいかなきゃね。

 

●チリ(ポケモンSV)

 

ありがとうございます

 

大好き

 

多分みんなそう

 

●銅と真鍮のハーフリング

ayano otsubo様という、アクセサリーなどをつくられている方がいらして、そちらの方で夏の始まり頃にお迎えさせて貰った。ハーフの名前通り、赤みを持つ銅と金に眩しい真鍮とが半分ずつ、指輪を成している。他であまり見たことがなく、そのシンプルさが何より素敵で、ここ半年ずっとつけていた。目に入る度ジッと見入ってしまう。大切にしていきたい。

ayanotsubo.stores.jp

 

●千銃士R

前々から話してはいるが、大好きなゲーム。年明けを前に本編が更新され、我々はしんどくも確かな一歩を踏み出した……11月には1周年が祝えて嬉しかった、また来年も祝わせて!!

 

***

 

(急ぎ足ですが そろそろお別れです)(これは好きな写真)

 

来年、私は生活がガラリと変わり、多分また色々な新しいことを知るのだと思う。それが楽しみと同時、ちょっと怖い。2023年も生きていけますように。

おやすみなさい!

2020年—最果タヒ展の記録

 

 

2年前のちょうど12月のこと、写真を見返していて懐かしくなったので書いています。渋谷のどこかのビル(多分パルコなんだろうが)で、詩人・最果タヒの展示があり、行って来ました。

高校生の時から好きな人で、詩集も幾つか持っている。こうして、形として、言葉と触れ合えて、本当に素敵な世界だと思う。またどこかでして下さらないかな。

最果タヒさんの言葉は鮮烈で、鋭いがそれが痛みとなる日もならぬ日もあり、冬という印象が私にはある。年齢を重ねたことで、その刺さり方は変わったけれど、また違う楽しみ方ができてそれもいいよね。

 

とても個人的なことだけれども、一つお話ししたいことがあって。

(画質がひどく悪いのは、恐らく当時の私の腕もあろうが、機種変前なので……!)

 

これは、渋谷での展示より一年と少し前の一枚。最果タヒの詩の展示は、横浜美術館のスペースでも行われていたことがあって。そこで凄く好きだと思った一文を、私は長く待ち受けにしていた。

 

それと、

渋谷で少しぶりの再会を果たすことができたのが、何より嬉しくて記憶に残っている。

 

少しばかりお裾分けを。

 

言葉と実際に空間を隣にして、触れ合えるような距離にあって、それが本当に胸をいっぱいにさせた。本来、近いようで遠い存在だから。ずっとときめいていた! 多分、当時の感想とか同じこと言っていたと思う。少しでも雰囲気が伝わったら嬉しいな。

岡本太郎展の話

行ってきた。

東京都美術館はこの間も行ったばかりで(ボストン美術館展)、続けてお世話になっている。ず〜っと狙っていた展覧会、嬉しい! 美術館に通い始めの頃は印象派など、ふんわりと光遣いのいい絵を好んでいたのだけれど、最近は反対に、原色の強い、比較して抽象的な画面が好き。ピカソやブラックのキュビズムの表現とか、ゴッホゴーギャンとか。だから岡本太郎の絵を見に行くこと、すごく楽しみにしていた。実際すごい楽しめた!

抽象的でありながら、よく見つめるとそのモチーフの形や、状況が分かりやすい岡本太郎の作品。民俗学の知識から、それら呪術的な要素を含んだ独特な風合いのものがあり、恐らくそれが“岡本太郎らしさ”なのだろう。19世紀末から20世紀頃の(主に西洋絵画だが)画家は、作風が顕著で絵を見てすぐ「彼/彼女だ!」と分かるのが特徴だと個人的には思っているのだけれど、岡本太郎もまた、一目見てすぐにピンとくる。力強さと生々しさとが、幾つ時間を経ても尚ぎらぎらと輝いていた。

館内、撮影OKで、入り口すぐのフロアにてこれを撮った。

『訣別』という題がついている。この左手に『駄々っ子』という作品があるのだけれど、右下の黒い生物と似た、ピンク色の生物がそちらにはいる。

太陽のようなぎらついた眼を持って、大きく口を開けたような生物の姿と、右下のスマートな生物と。この眩しい色遣いが好きだ、と思った。華々しい。

 

個人的に、最近撮影OKの展覧会が増えたが、私はあまり好きでない。勿論私もこうして写真に残しているだけあって、気に入った絵をいつでも見返せる場所に留め置ける(その絵の持つ魔力は画面越しだと多少欠けるかもしれないが)のはとても嬉しい。だけれどそれ以上に、シャッター音鳴り響く空間と撮影に夢中になる人が苦手。今回も常にあちこちでパシャパシャ、カシャカシャとシャッターが鳴っていたので、それらが苦痛な方にはお勧めできない。平日でも上野は人が多いから避けるのが難しいかも。

 

 

同じ東美でのゴッホ展のときも驚いたが、この岡本太郎展もまた、グッズの多様さがすごい。展覧会外で作られた岡本太郎グッズまで沢山揃えられ、彼方此方目移りしてしまう。(あと高い)

私が一瞬で目を奪われたのが、彫刻作品『午後の日』のぬいぐるみ。手乗りサイズの丸っこいビーズぬいなのだが、それがもうかわいくて……高い……(お値段2,750円)悩みに悩み通した末、お迎えしてしまった。かわいいので実質タダかもしれない。

 

 

岡本太郎展は上野・東京都美術館にて年内12月28日まで。あの『太陽の塔』は勿論、岡本太郎の歩みを一度に知れるいい機会となっているので、いいなと思ったら行ってみて下さい。当日券の用意もあるみたいだけれど確約でないそうなので、サイトからの事前予約だと安心!

 

これは午後の日くん

 

taro2022.jp

ボストン美術館展の話

(どう撮っても反射してしまった、東美のメインポスター大きくて好き)

 

ボストン美術館展 芸術×力』に行ってきた。東京都美術館で10月2日まで。2020年に中止となった展覧会で、2年越しの実現となるらしい。それを聞くと、とても胸に迫るものがある。当時、同じ東美のハマスホイ展が会期途中で中止になったり、国立新美術館で予定されていたカラヴァッジョ展が、その作品輸送の難しさ(感染拡大を受け)から会期が始まる前に中止が決まったり、美術館との距離が急にぽっかりと開き、仕方のないかもしれないが、苦しく悲しかった。想像でしかないが、1度なくなった展覧会の都合を再びつけるというのは、非常に難しいのではないだろうか。今回この開催が叶ったことは、何だか光のように思えた。

ポスターに「日本の宝里帰り」とあるように、ボストン美術館収蔵である日本美術品の多い展覧会だった。日本にあれば国宝とされていたであろうという『平治物語絵巻 三条殿夜討巻』と『吉備大臣入唐絵巻』を始め、油画、水墨画、刀、磁器やアクセサリーを含む目に楽しい内容だったと感じる。平日に関わらず人が多かったので、あまりじっくりとは見られなかったのだけれど……芸術という表現で高める、権威者の【力】というものに一貫して焦点が当たっていて、その背景を念頭に置いた上で、それぞれの作品が”どう”用いられたのかを考えるのがとても面白かった。

 

私は、入ってすぐ真正面に現れるロベール・ルフェーヴルと工房<戴冠式の正装をしたナポレオン1世の肖像>と、エル・グレコ<祈る聖ドミニクス>、ジョン・シンガー・サージェント<1902年8月のエドワード7世戴冠式にて国家の剣を持つ、第6代ロンドンデリー侯爵チャールズ・スチュワートと従者を務めるW・C・ボーモント>、ラクロシュ・フレール社<日本風のブローチ>、増山雪斎<孔雀図>辺りが好き! 特に最後の<孔雀図>、孔雀の鮮やかな羽が縦の画面いっぱいに描かれていて、一瞬で目を奪われた。増山雪斎は伊勢長島藩の藩主、つまりは大名でありながら、虫の写生図譜や花鳥図などを多く残しているという。多彩だ……!

あと、人の多さから少ししか見れていないけれど<吉備大臣入唐絵巻>は、その物語のわくわくさも楽しい。遣唐使として派遣された吉備真備が、かつて遣唐使であり今は鬼(!)の阿倍仲麻呂に助けられつつ、唐の人間の難題を上手く躱していく話で、幽閉先から空中浮遊して移動したり、囲碁勝負を相手の碁石を飲んで制したり、すごく惹きこまれる。

仲麻呂と真備が空中浮遊しているシーン、絵巻では本当にちょこんとしているのだけれど、グッズにそこだけをめちゃくちゃ拡大した栞があって、別の柄に比べ非常に画質が荒いものだから思わず笑ってしまった。妙に愛を感じ、買ってきた。勉強のテキストに挟んでおいて、見るたびフフッとしよう。

 

東京都美術館、企画展がいつも豪華ですごい。次期に岡本太郎展、来年にはエゴン・シーレ展、マティス展と続々魅力的な展覧会が予定されていて、考えるだけでよだれが出てしまう……この秋も、冬も、楽しく美術館に出かけてゆきたい!

 

www.ntv.co.jp

これは、ボストン美術館展のホームページ

リヒター展の話

ゲルハルト・リヒター展へ行ってきた。東京国立近代美術館にて、来月2日までが会期とされている。リヒターのことは少し聞いたことがあったが、実際に作品と相対したのは初めてかもしれない。対象を“見る”という行為を度々、しかもさまざまな形で意識させられた。見ることにこれだけの種類があるとは、と思った。

例えば、ガラスに色を落とし込んだ作品。《鏡、血のような赤》や《黒、赤、金》などのそれらには、真正面に立つと自分自身が映り込む、素材ならではの特性がある。それも暗がりめいた色であるから、映る姿形はやや鮮明。静脈血のように染まった自分を、ドイツ国旗に沈んだ自分を、見つめている。《黒、赤、金》の方の解説に確か、どんな場所であれこの作品の前に立てば、その場は否が応でもドイツ国旗の中にあることとなる、といったような感じが書かれており(個人の解釈が入っているやも)、その過程——人がそれを見つめ、それの色に何もかもが染まるまで——自体に動きのある芸術を見る気がした。

 

また、この写真は作品である《鏡》を撮ったものである。

その向こうに映るのもまた《4900の色彩》と題された作品たち。同じ色でも、隣り合う色が違えば受け取る印象も異なってくるとして、すべてが違う色、4900色とされている。1つひとつのブロックが組み合わせられてできているのだけれど、この作品のポイントは展覧会ごとに組み立てを行うところ。幾度も展示されようと、1つとして同じ顔を持たない。いつまでも新しく、私たちの眼前に佇む。(この《鏡》から覗く鑑賞もいい!)

 

リヒターの表現といえば、アブストラクト・ペインティング(らしい) キャンパス上で絵の具を引きずるように延ばしたり、あるいは削り取ったりして制作する。これらの作品は見ていて、色の組み合わせに惹かれた。例えばここでは黄色と濃淡の水色が並ぶのが嬉しく、それからアクセントにバッ、と赤が私の目に映り込んだ。もしかすると、人によって目に入ってくる色の順が違うのかもしれない。そう考えたら尚のこと面白い、人毎に印象が変わるということだから。

こちらは比較して小さな作品だけれど、ずっと大きなアブストラクト・ペインティングも存在する。次の写真であるとか。

 

この関連性のない色の組み合わせ、白に赤にグレーにと平面で見つめることもあれば、ジッとしているうちに、何処かの風景を感じ始めて、そういった視界? 感じ方? の変化が非常に面白いと思った。

引き延ばされた赤が、濁った水面に反射する建物の色に見え、白もまた、何かが映り込むように見え、そうすれば後は、ここは何処であろう? と思う。急に立体的に見えてくるので、それはそれで面白い。

 

私が特に好きだ! と思ったのが、こちらの《トルソ》 薄い青(と視認できる)の感じが好みで、また全体のぼやけた風合いにとても心惹かれた。リヒター作品の中でもこれらぼやけを持つものが私は好きかな、今回買ってきたポストカード2枚どちらともそれであるし。リヒターは実際に撮った写真をもとに絵を描くフォト・ペインティングを行っており、この《トルソ》もそのうちの1つ。写真に見えるけれども実は絵であって、光の具合で刷毛目があるのが分かる。

解説曰く「カメラを介したイメージはすべて等価で、構図も構成も画家が判断しなくて済む、すなわち主体的な判断を回避しつつ、描くことが可能だったからです。」自由を求め西ドイツへ移ったリヒターが、自由そのもの、作家自身の主体的な意志・作為自体に疑念を抱いたことからフォト・ペインティングに至ったという。実際に生み出された作品以上に、そういった作家自身の考え、それに基づく動き、道のりに何よりの“芸術”を覚える。

 

(これは入り口の写真)

 

今回の展覧会、リヒター本人が会場のデザインから関わっているという点で、今に生きる現代作家だからこその味わいを感じられる面白い機会になっている。

また、リヒター展のチケットがあれば2階〜4階のコレクション展などなど観覧できるところも本当にいいので、是非に! 東近美の所蔵コレクション本当にいいから……! 萬鉄五郎の《裸体美人》が生で見れるから今! ぜひ!

光があるところに、陰も生まれる【文劇5感想】

 

文劇を観てきた。(軽く内容について触れています

ゲーム【文豪とアルケミスト】の舞台化作品で、今回が5作目に当たる。毎回、物語の重厚さに涙が止まらないまま帰るのだけれど、例に漏れず今日もそういった感じだった。精神の葛藤、重圧に苦しみながらも戦う文豪たちの姿に、胸が縛られてしまう。

夏目漱石門下である芥川龍之介久米正雄のいびつな間柄とそれを取り巻く周囲との相関が鮮やかな今作、夏目漱石こゝろ』の侵蝕(=文アル用語で、物語を食い潰し、やがてその作品・作家の存在をもなかったことにさせる現象)を受け、ここで『こゝろ』は”人間のエゴ”を描いた作品であると紹介が入る。そこから、物語の全体へ”エゴ”というテーマがヴェールのように掛かり、観劇者の目の前へちらつく。

久米はかつて、芥川・菊池寛らと共に『新思潮』という雑誌を発刊し、仲間の中で最も早く文壇に認められていたが、芥川の『鼻』が漱石の目にとまったことによって、その「歯車は大きく狂いだした」らしい。

久米の周囲への当たりの強さ、孤独へと自ら飛び込む図と、芥川の自責、そのいずれもが苦しく、悲しかった。久米は己の弱さから攻撃性を高めているのかと思ったが、実際のところは分からない。ただ、こういった弱さ故の鋭さについて、私自身が実感することの多いという点でふと思い至っただけだから。久米曰く、芥川へは「その才能を純文学ひとつに絞っていれば、もっと活躍できたはずであろうに」という気持ちから、いらだちが生まれていたらしい。ふたりは同じ心、純粋な魂を持つ者同士であったのだと、久米は当初感じていたかもしれない、と描かれている。ふたりの出会ったばかりの回想と、現時点でのと、久米の声音・話し方が明確に違い、その描き分けに平伏した。(こういう細やかな部分にも触れ始めると、本当に止まらない!)

特に、文劇シリーズは表現者である人に尚のこと観て頂きたい作品で、と言うのは、いつも表現について強い問いをこちらへ持ちかけてくるから。今回は江戸川乱歩エドガー・A・ポー(素敵な共演!)、ラヴクラフトなど大衆小説家と、純文学を志す久米正雄との間に繰り広げられた「自分のための作品、相手のための作品、どちらがいいか? 悪いか?」という部分。久米は「読者に媚びを売るような作品」と大衆小説を辟易し、「そも万人が分かるような作品などない」と言う。ポーは「読み手がいない小説など、最早小説ではない」と言う。

これはちょうど、私が対面していた答えのない問いであり、だからこそ強く深く、胸に沁みわたった。恐らく、答えはないのだろう。どちらも共に独り立ちした主張であり、等しくぶつかるということは正負も何もないということなのだから。私は、久米の自分の美学を貫くさまが、生きづらそうに見えながらも、美しく大好きだと思った。元々そういう気質が私にもあり、しかしそれに不安を感じ始め、周りの目を気にしていた。だからこそ、誰に何と言われようと常に自分の道を行く久米の姿が、本当に好きだと思った。

また、久米はその流れでこのように話す。

「文学は、誰かのためじゃない、自分が生きるためにあるんだ」

この言葉に救われた、と思った。小説を、自分の精神のために書き始めた、といったようなことを劇中に漱石が言っていた。痛いほど分かる、と言いたい。感情を動力に、自分の心のために書いていく。久米はずっとそれを貫いている。眩しい、負の感情を以て、エネルギーとともに作品を仕立て上げる、彼が眩しかった。本当に出会えてよかった。

 

帰り、図書館に寄って久米正雄作品集を借りた。小さな岩波のもので、短編がぎゅっと詰まっている。劇を観て、実際の久米作品も読んでみたくなって。(同じ経緯で有島武郎も好きになったような)調べた限りではどうやら本となっているのはこの1冊だけのようで、劇中に出てきた『破船』は今では中古本だけの様子。一応、国会図書館のデータベースが中身を一般に公開しているけれど、とても見づらい。少し読んだが、彼の文章は精緻で、美しかった。心の隙間へ、糸のように細く音もなく、入り込むような。ゆっくりでも読み進めようか。こちらの久米の文章のことをもっと知りたい。

 

www.iwanami.co.jp

話した作品集はこれ