春の途端

とりとめもなし、思考や事象や日常について

メビウスの輪をほどく

疲れてしまった。心が荒んでいるというか、色々なことに余裕がない。そこに今日、自己嫌悪に至った出来事が重なったので、尚である。半ば衝動のように高校時代のグループラインたち(というもはや化石)を退会し、もう会わないであろう人の連絡先を削除した。少しすっきりした。

恐らくこれは、ここ数ヶ月感じている何か黒々とした大きなものの影響がある。ぼんやりとした不安、に似ている気がする。悲しいニュースを見聞きして、人のあらゆる意見と文句に取り憑かれ、自分がどこにいるのかよく分からなくなってしまった。今日、自らの気持ちではなく「あの人がこう言っていたから」というたったそれだけの理由でものの優劣を判別していたことに気がついて、ゾッとした。自身で行う判断ですら私にはできなかったのか。心に余白がなさ過ぎる。

そこで少し、SNSなどの使い方を考えてみることにする。最近の様子、何らかの事象に対するマスメディアの煽りが強いというか、大衆の気をわざと大きく震わすために扇動を行っている印象が拭えない。あちこち振り回されてばかりいる。私がこれだけヘロヘロであるのは、Twitterのトレンドから話題になっているニュース記事に飛んで、そこで繰り広げられる論争を頻繁に見ていたからかと。特に人それぞれ価値観による問題は正解など勿論ないものだから、やがて暴言に頼る仕様もない論争ばかりで、飽きずに続く応酬に何故 外野の私がやられているのやら。

Twitterはトレンドを見ずに、自身のタイムラインで過ごす。精神不安定が訪れた時それを冷静に分析する手帳を用意しているので、黙々と書きつけ答えを見つけてみる。部屋の掃除をしてみる。本を読んでみる。勉強してみる。兎角、何かにひたむきになっているのが恐らく私にとっていい。考える隙を与えると、視野が狭まった言葉しか出てこないに違いないので。心が痛んでいるときに何かを考えるのはよくない。それを人生においてやっと理解し始めたところ。