春の途端

とりとめもなし、思考や事象や日常について

ものを書くのが好きという

最近、よく筆が進み、嬉しく思っている。

と言うのは、趣味で色々とものを書いていることについてなのだけれど。

小学生のときに授業で物語を書こう、という機会があり、そこから自分の中の何かを言い表すひとつの手段として、文章を書くことが身についた様子。小さいうちに新鮮なことを体験するのは大切だな、と深く思う。自身の興味に気がつけるから。つらいも嬉しいも、私は全て書き表すことで消化できていて、感情の起伏を整えるという面でも、とても心強い味方なんだ。書くことを覚えていなかったら、と思うと途端に底暗い気持ちになってぞっとする。それは私でなくて同じ名前の別人かもしれない。

本を読んだり、映画を観たり、美術館にも行くし、観劇したり。

私は表現を摂取することが大好きなんだけれど、結局のところそれらが、自身の表現を磨くためという理由も大きい、ということに、実はついこの間気がついた。気がついて驚いた。意識してはいなかったのだよね。「これを知ることで、新しい表現ができるかも」と言葉にせずとも心では考えていて、それを本当に最近、名辞化した。

周囲からよく、私(途端)は本が好きだね、と言われる。けれどそれが自分の中であまりピンと来ていないところから、この事実を発見した。本が好き、と言うには、私は本をそこまで読めなくて、(実際それでも好きであれば好きと主張して、勿論いいと思うのだけれど)「本が好き」のひと言は何だかパズルのピースが合わない感じが自分の中でしていた。頑張って読んで月に5冊ほど。ひと月で1冊読み切らないときもあり、そのときは何というか、すごくお腹がいっぱいな感じがする。飢えてはいないから読まない、みたいな。

本の感想を書くとき、いつもたいてい「この本のここの表現が好き」に行き着く。話の構成という全体像より、パーツの組み合わせを欲しがるのかな。思えばこういう部分からも、「本そのものというよりは、本の中の表現が好きなんです!」が感じられるように思う。こういう表現、私もしたい、とか。こうして洗練された空間、私もつくりたい、とか。面白い視点だなあ、と思った。自画自賛ではなく、自分自身を俯瞰する形で。

 

色々と表現を試みているうちにか、あるいは元々そういう気質なのか、文章をつくるのは好きなのだけれど、しかし口での喋りが苦手というところがある。一度にポッと単語が浮かんで、どこから話せばいいのか分からなくなってしまって。その単語を繋げるにも、文章のとき味わいをじっくり考えるのが癖になっているのか、リアルタイム会話がめちゃくちゃにド下手くそ。よく詰まり、語末が消え、話すスピードがゆっくりという3コンボ。人との接触が少ない、というのもあるのかも。精進せねば、と思いつつ、腰が重いな、と感じつつ……。